報告 連絡 相談 略してホウレンソウ!
ビジネスで必要とされているとおり、どれも大切な要素である。
これから社会に出るのなら、この点は意識しなくていけない。
特に相談は、ビジネスだけではなく人生においても大事だ。

MY指導係「早く相談しろ」 私「すみません……」
何故なら、1人で解決するなんて無理。
何かに迷ったとき、何かに困ったとき、1人でもわからないときにぐるぐる考えても、答えはでない。
「時間の無駄だ」と言われたりする。
私はぐるぐるひとりで考えるのが好きなタイプで、会社の先輩や上司に「早よ聞け」ゆわれる。えへ。
さっさと、答えみつけて進むほうがいいという効率的なのだ。
自分だけの視点では、どうしても多面的に物事は見にくく、別の目線でアドバイスしてもらうほうがいいこともある。
いろんな人に相談してみたら、いろんな答えを見つけてくれる。
その中で「これいいかも」ってのが、ひとりで悩んでるときには見つからないものがでてくる可能性は高いから「相談」するのが手っ取り早い。
私が思うに「困ってる」って相談すると助けようとようとしてくれる人が多いんじゃないかと思ってる。
人間は助けを求められると意外と「なんとかしてあげたい」みたいになってくれる人は多い。
……まあ、そうじゃない人も当然いるが。
そんなこんなで「相談するメリット」は、大きいのだ。
自己分析が前提
相談には前提がある。
自分が何に困ってるのか、わかってないといけない。
これは、5つのうちの最後、自分との対話をしなきゃいけない。いわゆる自己分析。
悩みの解決には、自分を悩ます原因を見つけないといけない。
何がわかってて、わかってないのか。
勉強するとき、何がわらかないか認識してないと先生も教えようがないよね。
学校や塾なら、一個一個段階を踏んで一緒に分析するだろうけど、大人とかになってしまうとそんなことしてくれる人、自分以外いない。
もしくは心理カウンセラーや心療系の先生くらいか。
学校や病院などの先生と原因の究明していくとしても、やはり自己を知ることは必要だろう。
ここが甘いと間違った答えで進んで、再び悩むというエンドレス。
でも、間違うことは失敗ではなく、肯定的にとらえるべきではある。
「これ違った、ならこれはどうだろう?」って、自分にとって良き答えを見つけるためには必要な寄り道。
でも、もし原因が違う場所にあるなら、偽の原因を前提にして模索するのは、かなりの遠回りをするはめになる。
だから、自己分析は怠ってはいけない。
恥ずかしがりな完璧主義者
相談することは、一部の人間にとって難易度が高い。
「相談する、悩んでる、困ってる……」
それは、自分の弱い部分、未熟な部分を明かすことだから。
かくいう私がそうだった。
自己分析ができていなかったのも、一つの原因だが……。
なんというか完璧主義なのかなぁ?
自分の欠点をオープンにして、「これで今悩んでます、どうしたらいいかな?」って言うのがモームリ。
たとえば、私の場合。
「この人いじめてくるんだよね」
↓
「いじめられる未熟な私、恥ずかしい」
「これで怒られたんだよね」
↓
「ダメな私、恥ずかしい」
「試験資格落ちたんだよね」
↓
「失敗した私、恥ずかしい」
「恥ずかしい」がストーカー並みいや、背後霊のようにぴったりついてまわる。
他の人はどんな原因で相談できないのかわからんが、私は今も昔も「ぎゃー恥ずかしい」ってなる完璧主義者。
「完璧主義と恥」はもしかしたら、ツインなウルトラソウルかも。
お仕事するようになって、とにかくハズイ目にあうのは日常茶飯事。
いちいち「アレコレ恥ずかしい」なんて思ってられんぐらい仕事あるし、恥をかくのも数えきれん。
数えきれないので、もう一個も十個も一緒になってる?
なので、「何かもうええかぁ」という気分になりつつはある。
まっ、私は根っからの恥ずかしいがり屋さん。
まだまだ「恥かいたー!いえーい超草生える、ふっさふさやーん」
……みたいなノリには、なれない。
いつか、なれるかな?
そういうわけで、恥を晒すことになるかもしれないが、えんえんと悩んでも解決できないならば、一歩踏み出して相談する。
完璧主義は「叶わぬ夢を追う夢想家」だと思って、七割、八割あたりを目指す現実主義者を目指しましょ。
それが、精神的にも楽になる。
自分を苦しめる必要はないよ。
……そういう趣味の人もいるかもだが。
あえて失敗したことを話す
生粋の恥ずかしがり屋な私なので、失敗をさらりと話す人に尊敬の念が半端ないし、憧れる。
失敗を話せる人、強い人。
こう言う人は、失敗を肯定的に捉えられてて、吸収してる。
失敗しない人なんていない。
欠点のない人なんていない。
それをちゃんと理解してる。
この事実を捻じ曲げようとしてた私は、自分自身を苦しめてしんどかった。
誰もが失敗と欠点を担いで、今より良い状況を得るために一個一個をクリアして変えていってるだけ。
確かに恥ずかしいし、惨めにもなる。
でも、みーんなそう。
失敗こそ成功のもと系名言は、エジソンやアインシュタイン、松下幸之助たちが残している。
これだけでなく、失敗についての名言はたくさんある。
気になる方はこちらをチェック。

仕事や人生において、失敗しない生きていける人なんてどこにもいない。
人生版「ドクターX」みたいな人はいない。
いるとしたら、失敗を失敗ではなく成功のパーツと思えば、失敗ではないかもね。
とにかく失敗しない人はいない。
失敗するからこそ、教訓になり、次にいきる。
そういうのを繰り返しているほうが、逆境には強く、しなやかに生きていける。
そして、「その失敗を話すこと」は、自分が失敗から逃げずに受け入れて生かすため。
あーんど、あえて他者に話した方が楽になる。
結構、「それわかるわー」と共感してくれたり、似たような失敗談をしてくれて、ダメージを緩和してくれるメリットがある。
プラス解決策も教えてくれることもあるので、「あらまあ、失敗話が相談していた!」ってなる。
こういう点で、自分が誰かに相談しやすくなってくるかも。
失敗を話すたびに、「俺がレベル100にカンストしてる件」みたいになってると私は日々思ってるし、実際そうだと思ってる。
相談は怖くない
どんなに些細な悩みも、バカバカしくて愚かな悩みでも、答えが見つからずにいるのなら、相談するのが良い。
「バカバカしい悩みなんですけど……」って前置きしておけばいいし。
「いや、そもそも相談する相手がいないんだよ」って言う人もいるだろう。
この場合、私が提案したいのは専門家。
いわゆる心理カウンセラーや精神科医の人たち。
私は特に精神科にかかるというのは、めちゃくちゃ抵抗があった。
十代の時から、「絶対ヤダ」って思ってた。
でも、数年前に「不安障害」でやばい状況になったとき、「何とかしなきゃ」という藁にも縋る気持ちで受診を決めたら……めっさ楽になったのだ。
私が受診したところの先生は、とにかく「話を聞く」。
そして私の話を要約して問題点をあげる、そのためにどのような薬を選択し、メンタルの心構えを考える。……という感じだった。
不安な気持ち、悩んでいること、ざーっと話すことがこんなに気が楽になるとは思わなかった。
薬でこんなにも「異常なほどの不安」が収まるとは思わなかった。
昔、あんなに頑なにならなくてもよかったなぁと後悔した。
そのおかげ、ニートからもだっぴできたのだから。
もう一つ言うと。
ずーっと頭痛(片頭痛)で悩んでいた。
治らないんだって勝手に思い込んでた。
でも、専門家のお医者さんに受診すれば、適切な治療をしてくれて、生活ががらっと変わった。
うん……早く相談しに行っておけばよかったと、後悔。
はっきりとした問題がわかっているのなら、手間はかかるが適切に相談に乗ってくれる人、専門家を探すことを惜しんではいけない。
それなりにお金を出せるならば、心理カウンセラー(今ではオンラインでも受けられる!)も。
もし「お金があんまり出せないよー」という場合は各自治体や民間団体の相談窓口を使うのもありだろう。
厚生労働省には、このような取り組みがある。↓
「まもろうよ こころ」

電話相談だけでなくオンラインでの相談もできるところもあるんだと初めて知った。
なかなか電話はハードル高いよね。
だから、オンラインチャットとかできちゃうのはすごくいい!
こういうところを引っ掛かりにして、一歩ずつ、焦らずに自分の抱える問題を解決することができたらいいなと思う。
絶対に階段をかけ上げるように問題を解決しようとはしてはいけない。
一歩一歩。焦らず。
どんな悩みでも、自分が苦しんでいるのならば「相談すること」を躊躇ったりしないでほしい。
助けがいるのならば、一歩勇気を出して手をあげてほしい。
でなければ、「助けたい、相談に乗りたい」と思ってる人は知るすべがないから。
困ってると訴えてくれないと、誰も気づけない。
この世界は、冷徹な人たちも心優しい人たちも存在する。
一緒に考えて、一緒に答えを見つけようとしてくれる人は思っている以上にいる。
決して、みんな無視して過ぎ去っていく人ばかりではない。
だから、何かに悩んでいるならば、ほんの少しの勇気を出してみて欲しい。
その勇気は、絶対に実を結ぶと私は実体験をもとに信じている。